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ぼちぼち訪問看護 ~回想録~ その⑯ くやし涙

2018-07-27
カテゴリ:看護部門紹介,全て見る
こんにちは 看護部門・副管理者の大塚です。
訪問看護に携わって気が付けば20年余り・・。
「昔もあって、今も変わらないもの」「今までも、これからも大切にしたいもの」をぼちぼち綴ります。
 
看護部門の中でもあまり感情を表に出さず、冷静に淡々と仕事をこなすKさんが事務所に戻ってきたとき、珍しく涙をためていました。
どうやら悲しいのではなく、くやし涙のようです。
主治医の先生とこんなやり取りがあったようです。
 
彼女の受け持ちの利用者さんは微熱が続いており、経過観察していたのですが、血液検査の結果炎症反応が悪化していました。
ご家族も微熱が続いている事、検査結果が悪くなっている事、「このままでは身体が弱ってしまうのではないか」と心配をされていました。
今回の微熱と炎症所見は尿路感染が疑われ、「抗生剤投与を開始すべきではないか」というのが彼女の見立てでした。

そこで主治医に、ご本人の様子、ご家族の不安、彼女の見立てについて相談しました。
医師の返答は「今の病状では、抗生剤を投与してもその場しのぎにしかならない」というそっけないものでした。
彼女も随分食い下がりましたが、抗生剤は処方してもらえなかったそうで、医師に自分の考えを上手く提案できず聞き入れられなかった事、ご家族の気持ちを上手く伝えられなかった事。
結果、ご家族の不安やご本人の症状に対して対応ができなかった事など、自分のふがいなさ、自分の見立てが否定されたことに対して流した、くやし涙でした。

Kさんは、受け持ちの利用者さんやご家族、自分の見立てや看護について思い入れが強かったようにも思います。
また、「自分が何とかしなければ」というような気負いもあったのかもしれません。主治医の先生にも自分の意見を強く主張してしまったのかもしれません。
患者さんに寄り添い、どんなに想っても、残念ながら私たちは家族にはなれません。

また、看護師として自分自身の想いや価値観だけで突き進むと、主役であるご本人とそのご家族は置いてきぼりになってしまいます。(ここだけの話ですが、治療方針について医師との話し合いがうまくいかない時など、「私が医師だったらなあ」と内心ため息が出る時もあります)
もちろん、看護師は「医師の指示のもと、治療活動における患者さんへの援助を行う」とされています。
しかし医師の指示の範囲にとどまらず、様々な身の回りの世話をはじめとした身体・精神・生活、そして人生そのものへのさまざまな援助(看護)は、もっと看護師自身の独創的なものであると思っています。
 
訪問看護師1年目、悔し涙を流していたKさん。
「Kさん」=「私」です。最近はくやし涙もぐっと減りました。

訪問看護師としての私なりのスタンスをご紹介しておきます。
・ご本人・ご家族とは少しだけ距離をとり、看護師としての視点を失わないこと。
・「私が納得する看護、私がしたい看護」ではなく、あくまでも主人公はご本人とそのご家族であること。
・ご本人とそのご家族が決断できるよう支援し、その決断について支持し看護師として支援すること。
・「私が~してあげる看護」ではなく「一緒に~させていただく看護」であること。
・医師が適切な判断ができ、ご本人・ご家族が望む生活が送れるよう、医師とご本人・ご家族の橋渡し役としての立ち位置をとること。
・医師と看護師は連係プレー、お互い尊重しつつ、私は看護師としての役割と責任を果たすこと。